日常軒ラーメン 大盛りチャーシューおまけ

日常のひとこまとか思ったこととか

夢だったのか現実だったのか曖昧な記憶と田舎のお葬式

こんにちは!リサモリです(^o^)

もういい歳の大人と言われる年代になりましたが、私は子供の頃からあまり成長していなくて、不思議なことや面白いことに今でも夢中です。
よく言えば子供心を忘れない人と言い、たいがいは厨二病と言われる。

さて、最初の記事投稿は、幼い頃にあった夢みたいな現実みたいな不思議な記憶を書きたいと思います。

※こちらの記事はnoteで以前公開したのですが、はてなブログで改めて投稿します。

 

 

赤い月の思い出

まず一つ目は赤い月の思い出。
あれは小学校4、5年生くらいの時だったと思うのですが、夜8時ごろ何か用事があって外に出ました。
私は現在44歳なのでもう30年以上前のことになります。都内のごく平凡な住宅街に住んでいました。
ふと、開けた場所に出ると目の前で大きな大きな赤い月が、今にも地面にくっつきそうになっていました。
「こんなことってあるの?」
小学生ながらにその光景に驚き、何度も月を見返しました。
今ならすかさずスマホを取り出し、これでもかとばかりに写真を撮りまくり、SNSに投稿するでしょうが、その頃はそんなものは何も無かったのでただじっと口を開けて見つめるだけでした。

 

 

今思うと、ゼルダの伝説のブラッディームーンのようです。
あまりにも大きく赤かったので、今となっては夢だったのではないかと、自分の記憶を半分疑ってしまいますが、あれは確かに見たと思うのです。

また見たい、こんな月。
次見た時は写真に撮りまくって、ゼルダ姫のモノマネをするのだ。
リンク、気をつけて…

 

田舎のお葬式

二つ目はお婆ちゃんのお葬式の思い出。
幼い頃父方のお婆ちゃん(父の母親)が亡くなったので、お葬式に参列しました。これも小学校4、5年生だったと思います。
父の実家は北関東の田舎で、私はこの時2両編成の電車を初めて見ました。「電車」と書いたけど、もしかしたら汽車かもしれない。
それまでは車でしか行ったことがなかったのですが、この時は父や父の兄弟みんなお婆ちゃんが危篤で先に田舎に帰っていたので、母と妹と私は後追いで電車(汽車?)に乗って向かったのです。

父の実家は蕎麦屋をしていて、お店の中に小さな池があり、その池にかかる小さな橋を渡るのがお気に入りでした。
近所の人がたくさん集まり、お通夜やお葬式に出すお膳の料理を作っていました。あの時に嗅いだ椎茸の煮物の匂いは今でもふと思い出すことがあります。

 

 

お葬式の大きな花輪もお店の前に出ていました。
花輪の真ん中にお醤油や蜂蜜の瓶などの調味料がたくさん飾られていて、なんだか重そうでした。

父の田舎のお葬式は私が想像していたよりずっと不思議でした。

男衆が棺をお神輿のように担ぎ、お寺へ運んでいきます。
私たち子供には小銭の入った袋が手渡され、棺にぶつけるように言われました。三途の川の渡し賃です。


幼な心に
「これはすごい風習の景色を目の当たりにしている」
と感じ、ちょっと興奮しながら小銭を掴んでは棺にコツンコツンと投げていきました。
それを見た近所の子供は、お金が道に撒かれている!とわらわらと拾いに集まって来ました。それを止めようとする人は誰もいませんでした。


お寺に着くと、お坊さんが白い紙のついた棒を振っていました。
そして棺を土に埋めていきました。
そう、この頃この地域はまだ土葬だったのでした。(現在は不明)
私も一掴みか二掴み土を棺にかけました。

棺を埋め終わると、生米と切った茄子と胡瓜を混ぜたものをお供えしていました。

あとは帰ってくると大人たちはお酒を飲んで朗らかに談笑していました。
従姉妹の双子のお姉さんは
「お葬式とは思えないくらい賑やかだ」
と、子供部屋で話してくれました。

今はもう父の田舎に行くこともなく、きっとあの時のお店は建て替えてしまっていると思うのですが、建物の中に橋のかかる池があったあのお店にもう一度遊びに行きたいと、心の奥で思っています。


子供の頃は不思議なことも、当たり前のように受け入れてしまっていたような気がします。
子供特有なことなのか、私の頭のネジが少しユルめなのか。
現実と不思議の境界線を生きていくのがとっても面白くてやめられないのでありました。
(大丈夫です。ちゃんと一般的な社会人として生活しています)

 

 

 

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